もっと知りたい時計の話 Vol.71
さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史、時計が測る時間、この世界の時間などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。
今回も、前回に引き続き2025年4月1日から4月7日まで、スイス・ジュネーブで開催された世界最大の時計の祭典「ウォッチズ・アンド・ワンダーズ・ジュネーブ2025」で発表された最新の時計の話題をお届けします。
この時計フェアには日本発祥のブランドとしては唯一「グランドセイコー」が出展してスイスの時計ブランドと同様の大きなブースを構えています。そして今年、世界中から集まった時計のプロたちの間で絶賛された「グランドセイコー」の新作がありました。それが「グランドセイコー Evolution 9 Collection スプリングドライブ U.F.A. モデル」です。このモデルには、四半世紀前の1999年に世界で初めて製品化され世界を驚かせた、今も日本のセイコーしか製品化できていない、つまりセイコーしか作れない「スプリングドライブ・ムーブメント」、その最新版が搭載されています。
ブースの中央に展示されていた「グランドセイコー Evolution 9 Collection スプリングドライブ U.F.A. SLGB003」
※U.F.A.とは「Ultra Fine Accuracy」(超高精度)の略称。
みなさんはこのムーブメントがどのようなものか、ご存知でしょうか。 「スプリング」とは「ぜんまい」のこと。「ドライブ」は「駆動する」という意味です。この名称を直訳すれば「ぜんまい駆動のムーブメント」という名前です。機械式もその意味では“スプリングドライブ”です。なぜこの名称が付けられたのか?
それはこのムーブメントが“電子制御=クォーツ式なのに電池なしで「ぜんまいだけで動く」”ことをアピールしたかったからだと思います。「クォーツ式なのに、ぜんまいだけで動く」というのはどういうことでしょう。いったいどんな仕組みになっているのでしょうか。
機械式時計は、香箱の中のスプリング=ぜんまいが解ける力で、時針や分針や秒針が付いた歯車などいくつもの歯車を組み合わせた「歯車輪列」を動かします。ただ、ぜんまいには、一気に解けてしまう性質があります。そのため、香箱と歯車輪列をただつないだだけでは、ぜんまいは一気に解け、歯車輪列を高速回転させるだけです。そして時計はすぐに止まってしまいます。
そこで機械式時計は「てんぷ」と「ひげぜんまい」で構成される調速機で時間の基準になる「1秒」の長さを定義。さらに「アンクル」と「ガンギ車」で構成される脱進機で、この定義に基づいて秒針が着いた歯車が60秒で1回転。分針の付いた歯車が60分で1回転、時針が付いた歯車が12時間で1回転するように、歯車輪列の回転を制御します。つまり、ぜんまいが一気に解けないように制限する。その「力」をゆっくりと解放して長時間、正確な時間を表示できるような仕組みを備えています。このふたつの機構を合わせて「脱進調速機」と呼ぶこともあります。
機械式時計の時間精度はこの脱進調速機の性能で決まります。その精度は「クロノメーター」と呼ばれる高精度のものでも1日=24時間の進み遅れの平均(日差といいます)が「マイナス4秒~プラス6秒以内」。非常に高いものでも「プラスマイナス2秒」。これが技術的な限界です。
一方、クォーツ式時計はクォーツ(水晶)振動子を使った電子回路で「1秒を定義」。それに基づいて針や液晶ディスプレイなどで時間を表示します。その一般的な精度は「月差プラスマイナス15秒」ほどで日差に換算すると「プラスマイナス0.5秒」。つまり機械式より数十倍も精度が高いのです。しかもこの高精度は、機械式のように特別な技術者が調整を施さなくても実現できます。
理論的に機械式は精度ではクォーツ式には勝てません。1950年代後半から60年代、時計メーカーはこの限界を突破するためにクォーツ式時計の開発に競って取り組みました。そして1969年、セイコーが世界初のクォーツ式腕時計「セイコー クオーツアストロン35SQ」を発売。これをきっかけに時計の世界に「クォーツ革命」が起きて、クォーツ式時計の時代がやってきます。
このクォーツ革命の最中の1977年、セイコーのクォーツ式時計を最初に開発した諏訪精工舎(現在のセイコーエプソン)の技術者だった赤羽好和(あかはね・よしかず)氏が、ひとつの画期的なアイデアを思いつきます。それは「ぜんまいで動く機械式時計の歯車輪列はそのままに、その回転を機械式の脱進調速機ではなく、クォーツ式の電子回路を使って制御(調速)する。しかも、電子回路に必要な電気エネルギーはぜんまいの力で発電してまかなう」という「機械式の味わいとクォーツ式の高精度。ふたつの長所を兼ね備えたムーブメント」でした。これがスプリング ドライブ ムーブメントのアイデアです。
このアイデアは5年後の1982年に「特許」として認められます。しかし製品化されたのは1999年12月、何と17年後のことでした。当時、このアイデアを実用化するための基礎技術はまだなかったのです。実用化にはクォーツ式時計に搭載されているIC(集積回路)の超省電力化など、電子技術の飛躍的な進化が必要でした。開発は2度の中断を経て1997年にスタートした3度目でようやく成功。ただ、このアイデアを思い付き、技術開発を指揮してきた赤羽氏は、製品化の前年、52歳の若さで逝去されています。
「スプリングドライブ ムーブメント」の製品化には、ふたつの大きな壁がありました。ひとつが「歯車輪列の回転速度を制御する電子デバイスの開発」。そしてもうひとつが「ぜんまいの力で発電する、ごくごくわずかの電力で動作するクォーツを基準にした制御回路(IC)の開発」です。
そしてこのふたつの課題を解決して生まれたのが、スプリングドライブ・ムーブメントの心臓部「トライシンクロレギュレーター」です。これは「ぜんまいの動力」と、クォーツ式の電子回路で作った正確な時間信号。ぜんまいの力で回転する、歯車輪列につながるローターの回転速度。この3つを、時計が正確に動くように「シンクロ(同調)」させる画期的な装置でした。ローターには電磁ブレーキが組み込まれていて、ローターの回転スピードを常に時刻信号と比較して、回転が速すぎないよう磁力でブレーキをかけて、ローターの回転=歯車輪列の回転を正しいスピードに調整します。驚くべきことに、この複雑なメカニズムが、スプリングドライブ ムーブメントには組み込まれているのです。
左)トライシンクロレギュレーターの構造図。右)2004年に開発された「キャリバー9R65」
2004年には、実用性の高い自動巻き機能と約72時間のパワーリザーブを備えた、グランドセイコー専用のスプリングドライブ・ムーブメント「キャリバー9R65」を搭載したモデルが誕生します。その精度は「日差プラスマイナス1秒」。その後もこのムーブメントは進化を続け、2016年には、それよりも約3倍も正確な「月差プラスマイナス10秒」に到達しました。
そして今年の新作でスプリングドライブ・ムーブメントは飛躍的な進化を遂げます。新しい「キャリバー 9RB2」の精度はついに「年差=1年間にプラスマイナス20秒」。月差にするとプラスマイナス3秒。さらに3倍以上に向上したのです。
年差プラスマイナス20秒を実現した「キャリバー9RB2」
時を知る道具=時計の基本である精度。そして日本独自の美しいデザインで世界を魅了する「グランドセイコー」。しかも世界で唯一の技術を搭載したスプリングドライブモデルは、その象徴ともいえる製品と言えるのではないでしょうか。
グランドセイコー Evolution 9 Collection スプリングドライブ U.F.A. SLGB003