もっと知りたい時計の話 Vol.89

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史、時計が測る時間、この世界の時間などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

「時間割」という言葉から、皆さんはまず何を思い浮かべますか? 小学校に入学したとき、黒板の横にあった、それとも先生から配られた時間割でしょうか。それとも会社の日程表でしょうか。

大人でも子どもでもほとんどの人は「時間割」(アメリカ英語でclass schedule、・イギリス英語ではtimetable)に基づいて行動しています。特に学校や会社に通っている人は、時間割とは無縁でいられません。始業からお昼休み、終業まで。その場所と家を行き来するためのバスや鉄道、飛行機など交通機関も時刻表という時間割に沿って運行されています。安全で効率良く確実に社会を運営するために、時間割は欠かせないものです。

では私たち人類はいつ頃から時間割を使い始めたのでしょうか? これまで発見された世界でいちばん古いとされる時間割は、紀元前2000年〜3000年頃に世界4大文明のひとつ、メソポタミア文明(現在のイラク周辺)のシュメール人が作った粘土板にくさび形文字で記された時間割です。発見されたのは「粘土板の家(エドゥバ)」と呼ばれた学校で、そこには当時のエリート職業である「書記」を育成するためのカリキュラムが刻まれていました。朝から夕方まで、文字(楔形文字)の書き方や計算、測量、言語学などの授業が、毎日決められた時間に行われていたことが分かっています。また古代のエジプトでもほぼ同じ頃(紀元前2000年頃)に書記の学校があり、厳格な時間管理の下で教育が行われていた記録が残っています。ただ当時は現代のような細かい時間単位まで測れる時計がなかったので、「午前中は筆写練習、午後は朗読」というように、一日単位や半日単位のスケジュールが基本でした。

6世紀に入るとキリスト教の修道院で「ホラリウム」という日課表が使われるようになります。厳格で知られるベネディクト会の修道院では、まず真夜中の0時に起床して暗闇の中で詩篇の詠唱や聖書の朗読を、早朝3時になると夜明け前の礼拝、朝6時には集会、とのように、夜9時の就寝まで3時間おきにすることが決まっていました。そして3時間ごとに鐘や木魚が打ち鳴らされて、その時刻であることを知らせました。

ベネディクト会ではありませんが、日本を代表する世界的な作家・村上春樹さんのエッセイ『雨天炎天―ギリシャ・トルコ辺境紀行』(新潮文庫)には、女性が立ち入れない国、ギリシャのアトス半島にあるアトス自治修道院共和国の修道院を訪れて、修道士たちの生活の一端、深夜0時、3時の宗教儀式を体験したことが書かれています。

社会全体に「時間割」の考え方が導入されたのは、産業革命が始まった18世紀後半から。明治の日本の法制度や富国強兵の“お手本”になったと言われている、軍事的な規律を社会全体に適用しようとしたドイツ・プロイセンのプロイセンの教育制度(1763年の一般地方学校規定など)から始まったとされています。

日本の学校で現在のような時間割が使われるようになったのは今から154年前、1872年(明治5年)に学制が公布され、初等教育の制度が確立されてからです。江戸時代の寺子屋や藩校では「授業は何時から何時まで」と決まっていましたが、今風に言えば個別指導が基本で、時間割に従ってみんながいっせいに授業を受けるという現在の学校の授業のようなスタイルではありませんでした。


明治26年(1893年)に刊行された『学校管理法』(普通教育全書 一条亀次郎著、博文館刊)の時間割についてのページ。尋常小学校の場合は毎週18時間から30時間が授業時間の上限で、府県知事がこれを決めて文部大臣の許可を得ることになっていた。【国立国会図書館デジタルコレクションより】

時間割は単に教科を並べたものではなく、それ自体が近代社会への適応訓練として機能してきました。そのため教育学では時間割を「隠れたカリキュラム」と呼ぶことがあります。


現代の小学校の時程表。高学年になると6時間授業が意外に多くて、終了時間は15時を超えます。

でも、24時間いつでも時間割に縛られた時間厳守の生活ばかりというのは、とっても心が疲れますよね。考えてみれば、学校に通う子どもたちは毎日そんな生活を送っているのです。大人が週末に仕事を忘れて自由にゆっくりのんびり過ごしたいのと同じように、いつも時間割に従って暮らしている子どもたちも、週末ぐらいは自由にゆっくり、のんびりさせてあげたいものです。