もっと知りたい時計の話 Vol.90
さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史、時計が測る時間、この世界の時間などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。
みなさんは日本が生んだ偉大な芸術家・岡本太郎(おかもと・たろう 1911〜1996)をご存知でしょうか。昭和初期の人気漫画家であり、画家・文筆家としても活躍した岡本一平を父に、小説家、歌人の岡本かの子を母に神奈川県川崎市に生まれた岡本太郎は、1929年に東京美術学校(現在の東京藝術大学)に入学しますが、父の仕事に同行して渡欧。パリ大学で民族学を学びながら、ピカソの作品に衝撃を受けて芸術家として抽象芸術運動に参加します。しかし1940年第二次世界大戦勃発により帰国し、軍に召集されて中国大陸で従軍、捕虜生活を経験してから日本に帰還。戦後、芸術家としてさまざまな作品や著作を精力的に発表して日本の前衛芸術運動を牽引した人物です。
1970年には日本万国博覧会(大阪万博)のテーマプロデューサーに就任します。そしてこのイベントの象徴になったのが、作品の中でも最も知られている『太陽の塔』。1980年代には日立マクセル(現・マクセル)のビデオカセットテープのTV-CMに出演し、その中で語った「芸術は爆発だ!」という言葉も流行語になり、1986年の「流行語大賞」に輝き、テレビでも知られる存在となりました。
岡本太郎は、パブリックアートを数多く製作した芸術家としても知られています。日本国内には現在、あの『太陽の塔』を筆頭に140点以上のパブリックアートが残っていますし、海外にもいくつかパブリックアートがあります。

東京・渋谷のマークシティ連絡通路の「明日の神話」
近年では、幻の名作と言われながら長く行方不明だったものの、2003年にメキシコのメキシコシティで奇跡的に発見され2006年に修復が完了。2008年11月から東京・渋谷駅の渋谷マークシティ連絡通路に設置されている巨大壁画『明日の神話』も岡本太郎の代表作であり、誰もが鑑賞できるパブリック・アートのひとつ。
そんな岡本太郎のパブリックアートのひとつが、東京・銀座の中心部、以前このコラムでご紹介した有楽町マリオンのからくり時計「マリオン・クロック」のすぐ近く、晴海通りをはさんで反対側にある数寄屋橋公園に設置されている時計塔「若い時計台」です。

数寄屋橋公園に設置されている時計塔「若い時計台」
日本万国博覧会の象徴「太陽の塔」の4年前の1966年に製作され、東京・銀座の数寄屋橋公園に設置されている高さ約8メートルのこの時計塔は、奉仕団体「銀座ライオンズクラブ」から「東京数寄屋橋ライオンズクラブ」が独立したことを記念して誕生し、1968年に数寄屋橋ライオンズクラブから東京都中央区へ寄贈されたもの。
今では銀座の中でもホッとする落ち着いた空間ですが、設置された当時このあたりは今とはまったく違う雰囲気だったようで、発注者の両クラブは岡本太郎のこの作品に周囲の雰囲気を一変させることを期待していたと思われます。そして完成・設置された際に岡本太郎は「今を生きる人間の、瞬間瞬間の情熱を表現した。人間は本来八方に意欲を突き出し、情熱をほとばしらせながら生きたいのだ。時間を超えた時間、機械的でない、人間的な時間を表象したつもり」と、1966年(昭和41年)発行の『東京数寄屋橋ライオンズクラブ記念誌』にコメントを寄せています。
4年後の「太陽の塔」を彷彿させる、岡本太郎の作品らしい“顔のある”この時計塔。公園のベンチに座って眺めていると、塔から突き出した枝のような突起も含め、生命の躍動するエネルギー溢れるユニークな造形に時を忘れてしまいます。これまで2001年、そして岡本太郎生誕100周年の2011年の2回、大掛かりな修復が行われて現在に至っています。塔のいちばん上の顔の部分はシチズン製の時計で、時計の針が眉毛やヒゲのように変化しながら、表情を変えるように時刻を表示します。数年前まで夜になると7色のカクテルライトでライトアップされていたようですが、現在は残念ながら行われていません。
東京・銀座を訪れた際はぜひこの数寄屋橋公園を訪れて、晴海通りの反対側の「マリオン・クロック」とともに、ぜひ一度その姿や動きを楽しんではどうでしょう。