もっと知りたい、時計の話<Vol. 6>

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時話」です。

「ビート(beat)」というと、8(エイト)ビートとか16ビートとか、音楽の話のようですが、これは時計のコラム。今回は、機械式時計でビートを刻む、その重要度から「人間の心臓」に例えられる、テンプとひげゼンマイ、ガンギ車とアンクルで構成される脱進調速機の振動数の話です。

じっとしているのか動いているのか、身体の状態によって脈打つ回数、つまり脈拍が常に代わる人間の心臓と違って、機械式時計の振動数は変動せずにいつも一定。変動しては困るというか、時計の場合はいつも「一定でなければいけない」のです。

そして「〇〇振動/時」とか「○.○Hz(ヘルツ)」というかたちでスペックに書かれているこの振動数は、時計の機能や性能、精度と直結しているとても大事な数字。右回りすると左回り、左回りすると今度は右回り。テンプとひげゼンマイがこの往復回転運動を1秒間に何回繰り返すかを表しています。 今の機械式時計の振動数は、1万8000振動/時(5振動・2.5Hz)から2万1600振動/時(6振動・3Hz)、2万8800振動/時(8振動:4Hz)、3万6000振動/時(10振動・5Hz)が一般的。1万8000振動/時はロービート、2万8800振動/時以上はハイビートと呼ばれています。

 この数字が高い、つまりビートがハイなほど、テンプの往復回転運動のスピードが速いほど、外からの衝撃や時計の位置の違いで起きる進み遅れが少なくなる。つまり精度が安定します。ただ速く動かすためには、それだけ多くのエネルギーを使います。一方、ビートがスロウ=往復回転運動のスピードが遅いほど、使うエネルギーは少なくて済みますが、進み遅れの幅が大きくなり、精度が安定しにくくなります。

グランドセイコー専用の機械式ムーブメント「キャリバー9SA5」。構造も普通のスイスレバー式脱進機とは違います。振動数は3万6000振動/時。


振動数を高めて精度を高めるか。それとも振動数を下げてエネルギー消費を減らすか。この二律背反するこの大きな問題の解決に、時計技術者たちはいつも取り組んできました。

そして生まれた新しい機械式時計のひとつが、ヴァシュロン・コンスタンタンの手巻きモデル「トラディショナル・ツインビート・パーペチュアルカレンダー」です。パーペチュアルカレンダー機構は、一度時計を止めてしまうと調整が大変。だから、できるだけ長く動き続けることができるようにしたい。

そこでこのモデルに搭載されている手巻きムーブメント「キャリバー3610 QP」には、2つの振動数が違う脱進調速機が搭載されていて、これを切り替えて使うことができるという、特別な仕組みが備えられています。腕に着けて使うときは振動や重力の影響を受けやすいのでハイビートの3万6000振動/時(10振動・5Hz)に。腕に着けずに置いておくときには、振動や重力の影響を受けにくいので、振動数を8640振動/時(2.4振動・1.2Hz)という超スロウビートにすることができます。

ヴァシュロン・コンスタンタン「トラディショナル・ツインビート・パーペチュアルカレンダー」のムーブメント。左が着用して使うときに使うハイビート、3万6000振動/時の脱進調速機、右が着用しないときに使うスロウビート、8640振動/時の脱進調速機

ハイビートで使うときのパワーリザーブ(主ゼンマイをフルに巻いたときに時計が作動する時間)は約4日間(96時間)ですが、超スロウビートに切り替えると、何と約65日間(1560時間)まで伸ばすことができます。これは優れた技術があるからできることです。


時刻を表示する時計機能に加えて、経過時間を測るストップウォッチ機能が付いたクロノグラフの場合は、この振動数で「計測できる時間の最小単位」が決まります。2万8800振動/時(8振動・4Hz)の場合は1/8秒、3万6600振動/時(10振動・5Hz)の場合は1/10秒がその数字。

この「物理的な限界」を突破するために、振動数を3万6000振動/時の倍になる7万2000振動/時(20振動・10Hz)にして1/20秒を計測できるようにした超ハイビートのムーブメントを搭載し、時計用とは別にわざわざ超高速の別の脱進調速機と専用の歯車輪列を備えた特別なムーブメントを開発・搭載したモデルもあります。

パテック フィリップが2022年春に発表した最新の機械式クロノグラフ・モデル「1/10秒シングルプッシュボタン・クロノグラフ 5470-P001」は、搭載される新型クロノグラフ・ムーブメント「キャリバー CH 29-535 PS 1/10」を搭載しています。

パテック フィリップのキャリバー CH 29-535 PS 1/10の脱進調速機。テンプは円型ではなく砂時計のような形。

この新しい手巻きクロノグラフ・ムーブメントの振動数は3万6600振動/時(10振動・5Hz)。だから計測可能なのは1/10秒単位まで。これだけ見ると「普通だな」と思ってしまうかもしれません。でもこのモデルのすごいところは、1/10秒単位の計測を厳密に正確に行えること。脱進調速機はひとつですが、時計とストップウォッチの歯車輪列を独立させて、お互いが絶対に干渉しない、つまりストップウォッチを使っても時計の精度に影響が出ないようにしてあるのです。また、脱進調速機のテンプのかたちも、通常の円型のものとは違っています。



すでに「進歩する余地がない」ように思ってしまう機械式時計。ですが、時計技術者たちはこれまでの限界を超える、新しいムーブメントの挑戦を続けています。

振動数が速くなるほど、「カチカチ」という機械式ムーブメントが発する音は速く、連続した音になります。あなたの持っている機械式時計の振動数はハイビートでしょうか。それともスロウビートでしょうか。一度確認してみてはどうでしょう。