もっと知りたい、時計の話 <Vol.8>

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

機械の魅力は「機能」だけではありません。その機能を「操作する」喜びも、大きな魅力のひとつです。

たとえばクルマは人に、時速数十キロという「生身の人間には不可能なスピードで移動する」という機能を提供してくれます。そして同時に人に「クルマを操る喜び」つまり「運転する喜び」も与えてくれます。

またどんなものでも測定器は人に「計(測)る」という機能を提供してくれます。そして同時に人はこの「計(測)る」という行為自体に、喜びを感じるものです。

普通の時計には残念ながら、この「操作する喜び」はほとんどありません。「操作」できるのは時刻やカレンダーを合わせるときだけ。時計愛好家の中にはこの「時刻合わせ」「カレンダー調整」の操作感にこだわって、その感覚を楽しむ人もいます。ですが、これはマニアックな世界へもつながっていきます。

また普通の時計でも、針の位置を記憶しておくことで「時間を測る」ことはできます。でも、きっちり「測れる」わけではないので、この喜びもいまひとつ。

でも時計の中には、「操作する」「計る」というふたつの喜びを持ち主に、いつでもどこでも提供してくれる時計があります。時刻を知らせる時計機能にプラスして、「経過時間を計る」ストップウォッチ機能を備えている時計。そう、クロノグラフです。

クロノグラフ(chronograph)という言葉は、もともとはギリシャ語で「chrono」が「時間」を、「graph」が「記録する」を意味します。今はクロノグラフというと「ストップウォッチ機能の付いた腕時計」のことですが、当初はクロノグラフという言葉がストップウォッチ、つまり経過時間を計る測定器のことを意味していました。当時は時計とは一体化せず、独立した機械だったのです。

経過時間を計るクロノグラフ=ストップウォッチが開発されたのは、産業革命が始まった18世紀半ば過ぎのこと。スイスにその設計図が残されています。

時計と一体化した機械式のクロノグラフが誕生したのは19世紀初め。天文観測用のクロノグラフが、また競馬の着順を記録するためのインク記録式のクロノグラフが、それぞれフランス人時計師の手で開発され、当時のものが今に伝わっています。ただ当時は懐中時計の時代で、クロノグラフ機構を組み込んだ懐中クロノグラフが各社から登場します。


1874年に製造されたハンター型ケースの懐中時計クロノグラフ (Inv.Ref.12090) “ヴァシュロン・コンスタンタンのアーカイブより”

腕時計の中にクロノグラフ=ストップウォッチ機能を組み込んだ、一体型のクロノグラフウォッチが誕生したのは1910年頃。オメガやロンジン、ブライトリングなどが機械式の手巻きクロノグラフを開発・発売します。リュウズとは別にプッシュボタンがひとつあり、このプッシュボタンを押すたびに、ストップウォッチのスタート、ストップ、リセットが行われる、いわゆる「シングルプッシュクロノグラフ」でした。


ロンジン ヘリテージクラシック クロノグラフ“タキシード” 1930年代のタキシードにインスパイアされたクラシックデザインが魅力

文字盤に時刻表示とは別に、測定した時間を記録・表示するためのインダイヤルを、ケースの右側、リュウズの上にストップウォッチ機能のスタート/ストップを行うプッシュボタン、リュウズの下側にストップウォッチ機能のリセットを行うリセットボタンを備えるという、現在のクロノグラフウオッチのスタイルが確立されます。

機械式クロノグラフ・ムーブメントはシンプルに簡略化した構造のものでも普通の機械式ムーブメントよりもはるかに構造が複雑です。ムーブメントによっては、構成する部品の点数が約2倍になることも。それは、時計用の針と歯車輪列に加えて、ストップウォッチ機能のための特別な針と歯車輪列を備えているからです。そのため当時は、時計界トップクラスのブランドでも、クロノグラフのムーブメントは専門のムーブメントメーカーから購入して使っていました。


PATEK PHILIPPE 手巻きクロノグラフ Ref.5172 に搭載される完全自社製ムーブメント「キャリバー CH 29-535 PS」。クラシックな外観だが時計愛好家垂涎の最新技術を搭載する。

また、懐中クロノグラフも腕時計クロノグラフも、開発された当時は一般用ではなく、仕事で経過時間の計測を必要とする特別な職業、軍隊の将校クラスや科学者、競馬や自動車レース、アスリートとそのコーチなど特別な人々のための特別な時計でした。ですから価格が普通の時計の何倍もする、とても高価なものでした。

ところが1960年代半ば以降、クロノグラフをめぐる状況は大きく変わります。時計ブランドがクロノグラフをスポーツウォッチとして広く一般の人々向けに販売し使ってもらおうと考えたこと。汎用のクロノグラフ・ムーブメントが比較的手頃な価格で専門メーカーから時計ブランドに供給されたこと。また時計の製造技術が進化して、自社開発製造のクロノグラフ・ムーブメントもコストを抑えて作ることができるようになったこと。こうした理由で、今ではずっと身近な価格でクロノグラフが購入できるようになりました。

クロノグラフを腕に着けて操作するたびに、私(筆者)は小学校の体育の授業で初めてストップウォッチを手にして友だちのタイムを計った。あのときの「ワクワクした気持ち」と、カチッとした独特の操作感を思い出します。


1960年代、日本のセイコーは機械式クロノグラフでも世界最先端の技術を確立していました。これは当時の名称を受け継ぐプロスペックスの「スピードタイマー」


もしあなたがまだクロノグラフをお持ちでなかったら、ぜひ1本手に入れて、クロノグラフの「ワクワク」、つまり「操作すること」「計ること」を楽しんでみてはどうでしょう。スポーツでのタイム計測や料理の調理時間の管理に役立つのはもちろんです。

時計の中でもクロノグラフには、特に興味深い話、面白い話がたくさんあります。でも今回はこのへんにして、その話は別の機会に。