もっと知りたい時計の話 Vol.11

さまざまな時計、その素晴らしい機能や仕組み、その時計が生まれた歴史などについて、もっと知って楽しんで頂きたい。 日新堂のそんな想いを込めてお届けするのがこの「もっと知りたい、時計の話」です。

「風防」は時計にとって大事な部品のひとつ。でもこの言葉、あまり一般的ではありません。だから「え、風防って時計のどの部分?」と思う方もいらっしゃるのでは?

風防とは、文字盤の上にある、文字盤を保護している透明なカバーのこと。つまり「文字盤を覆うガラス」のことです。「なんだ、そのことか」と思った方も、きっといらっしゃると思います。

ところで、なぜ文字盤を覆うあの透明なガラスを「風防」と呼ぶのでしょうか。実はこの「風防」という言葉、もともとは時計用語ではありません。「windshield(ウインドシールド)」という英語を直訳したもの。航空機や自動車やオートバイの操縦席(運転席)を風から守るフロントガラスや透明なプラスチック製の風除けのことなのです。また、バラなどの花を風から守るためにかけるカバーもウインドシールドと呼びます。フランス 飛行家で作家のサン・テグジュペリの名作『星の王子さま』にも、王子様を困らせるバラに、ガラスの覆いをかけてあげる場面がありました。

さて、この時計の風防ですが、昔はたしかにガラスが使われていました。ただ、今の高級時計の風防の素材はガラスではありません。工業的(人工的)に製造される「サファイアクリスタル(sapphire crystal)」。製造業の世界では「単結晶コランダム」と呼ばれる素材です。

ちなみにガラスは化学的には結晶ではなく非晶質(アモルファス)。結晶のような剛性もあるが粘性(粘り)もある。そして、熱を加えるとある温度からいきなり流動性が高くなり、ゴムのような状態になる。そんな物質をまとめて呼ぶ言葉です。

一方、サファイアクリスタルの「サファイア」は宝石のサファイア。そして「クリスタル」は水晶ではなく「結晶」という意味。鉱物学的に言うとサファイアクリスタルは、酸化アルミニウム(コランダム)の結晶、それも結晶が規則正しく並んだ単結晶です。

宝石のサファイアは天然の酸化アルミニウムの単結晶で、不純物が混ざっているために色が付きます。この不純物で色が変わり、赤い色のものを「ルビー」、それ以外をサファイアと呼びます。「サファイア=ブルー」というイメージが一般的ですが、イエローやピンクのサファイアもあり、「ファンシーカラーサファイア」として人気です。また、当たる光の波長によって色が変わるという貴重な「カラーチェンジサファイア」もあります。

これに対して、工場で人工的に作られるサファイアクリスタルは無色透明。なぜ色が付いていないのか? それは不純物が入っていないから。逆に製造時に原料に不純物をほんの少し混ぜると色を付けることもできます。

ベルヌーイ法によるサファイアクリスタルの製造装置(左)。窓の向こうにある製造装置の内部(中、右)。白い棒の上にあるのは「種」の役割をするサファイアクリスタル。この「種」をガスバーナーの炎で加熱しながら、炎の中にサファイアクリスタルの成分である酸化アルミニウムの粉末を落とすと、粉末が溶けて「種」の周りに結晶が育つ。この作業を棒をゆっくり引き下げながら行うと単結晶が育ちます。

サファイアクリスタルの単結晶の成長過程のサンプル。「種」結晶の周囲に結晶が育ち、大きなサファイアクリスタルの単結晶(いちばん左)ができる。この塊を長時間、高温の炉に入れて安定させてから冷まし、カットして磨くとサファイアクリスタル風防ができる。


そして今、高級時計の風防は、ほとんどがこのサファイアクリスタル製。ではなぜこの素材が使われるのでしょうか? 理由は主にふたつあります。

理由のひとつは、硬度が高くて傷が付きにくいこと。鉱物の硬さを表す指標のひとつに、表面を引っかいたときの「傷の付きにくさ」を相対的に1〜10までの数字で表す「モース硬度」という指標で、サファイアのモース硬度は9。つまり最も硬い、硬度10のダイヤモンドの次に傷が付きにくい。これが高級時計の風防に使われるいちばんの理由です。

そしてふたつめの理由が、素材としての美しさ。サファイアの単結晶は天然モノながら「宝石」になる美しさ。そのため、最近ではベゼルの素材に採用する高級時計も増えています。

ムーブメントを鑑賞できるようにするため、ケースの裏蓋の一部をサファイアクリスタルにするモデルも増えています。「ロンジン マスターコレクション 190周年記念モデル/L2.793.4.73.2」

ただ、サファイアクリスタルは「ダイヤモンドの次に硬い」ため加工が難しいものです。そのため2000年頃まで、サファイアクリスタル製の風防は平面でした。ガラスやプラスチック(アクリル樹脂。プレキシガラスやヘサライトとも呼ばれます)を素材にした昔の風防は、ドーム型のものが普通でした。ただ当時はサファイアクリスタルをドーム型の形状に加工するのは難しいため、コストの関係から平面だったのです。

ところが最近は技術の進歩で、ドーム型のサファイアクリスタル風防が、低コストで製造できるようになりました。そのため現在では、ドーム型のサファイアクリスタル風防が広く使われるようになっています。

ドーム型のサファイアクリスタルを採用したロンジンの「ロンジン レジェンドダイバー/L3.374.4.40.2」。1960年代のダイバーズモデルを現代の技術で再現したモデル。オリジナルの風防はアクリル樹脂製でした。

ところで、このサファイアクリスタルの風防のことを、日本の時計ブランドではなぜか多くのカタログで「サファイアガラス」と表記しています。長年の慣習で「ガラス」と呼ばれているのです。でも英語のカタログの表記は「sapphire crystal」。写真でもご紹介した、サファイアクリスタルの工場を取材したとき「ガラスではなく宝石です。せめてガラスではなくクリスタルと呼んでください」とお願いされました。

高級時計は腕に着ける「機械の宝石」。そしてそのサファイアクリスタルの風防も実は「宝石」。これって、ちょっとうれしい話だと思いませんか?